| オリーブオイルの伝説と歴史について |
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| オリーブの伝説と歴史 オリーブはモクセイ科の常緑樹で、平和と安らぎを象徴するという。 7〜8000年前に原産地のシリア(現在のトルコのアンタキヤ)からメソポタミアに、その後 フェニキア、エジプト、ギリシアに伝わり、フェニキアの開拓者たちの手によってさらに西方に伝えられた。 こうして紀元前3000年ごろまでにはイタリアからイベリア、北アフリカでも、風車を使った搾油が行われていたという。 オリエントでは、旧約聖書の創世記にあるあの有名な「ノアの箱舟」で、大洪水の後にノアが放った鳩が7日後にオリーブの若葉を加えて帰り、陸地の存在を確認したことはよく知られている。この際にノアが漂着した山がトルコ南東部のアール(アララット)山だった。こうしてオリーブは、春の太陽によって冬の洪水が冷えあがる「春分」を象徴し、肥沃、豊穣と繁栄を表している。 ギリシア世界でオリーブは、大神ゼウスの栄誉をたたえるオリンピック競技のためヘラクレスが「北方の常春の国」より持ち帰ったとされ、ギリシア人にとっては「最高の栄誉」を表すものだった。オリーブが地中海東岸(あるいはアフリカ北岸)からギリシアに 伝わった故事としてアテナ女神の伝説があげられる。ギリシアのアッテカの支配権を巡って、知恵と勝利の女神だったアテナと海神ポセイドンが争った際に、大神ゼウスは最も人々の役に立つ贈り物を贈った者に支配権を認めることにした。こうしてアテナはオリーブを、ポセイドンは馬を贈った。結局、人々は戦のための馬ではなく、平和な生活のためのオリーブを選び、アテナが勝者となった。こうしてアッティカの首都はアテナイと名付けられ、野生種のオリーブの木に囲まれたアクロポリスのパルテノン神殿で、アテナが守護神として祭られるようになったのである。神殿のエレクテイオンではアテナの植えたオリーブが「聖なる木」として祭られ、各殖民ポリスに株分けされたという。 古代ギリシアでオリーブは「液体の黄金」と呼ばれ、他の油脂とは明らかに違った地位を得ていた。3等級に分けられたオイルは最上級(バージン・オイル)と上級が食用に供せられ、3級物が灯火に使われた。地中海世界を制覇したローマ帝国は、ローマの需要に応えさせるために、このオリーブ・オイル生産を組織的に行うようになった。こうして有力貴族たちは広大はオリーブ園を経営し、これをローマにもたらした。オリーブ・オイルは、ぶどう酒、穀物とともに帝国の三大生産物といえるものだった。 キリスト教時代に入っても、オリーブオイルの重要性は低下しない。キリスト教社会でもオリーブオイルは、聖油として洗礼の際の塗油に用いられただけでなく、死者の額にも塗られるなど、儀式の面でも特別な意味を持っていた。ギリシア語のクリストス(救世主:キリスト)は「(神によって)油注がれた者」という意味である。 ビザンツ帝国の衰退と領土の縮小によってオリーブは、ギリシア本土からエーゲ海沿岸部での栽培が強化された。トルコでも現在に至るまで、エーゲ海の沿岸部が最も良質なオリーブオイルが生産されることで知られている。 一方でイスラム世界に組み込まれた東地中海沿岸のシリア北部の原産地でも生産は続けられ、主要輸出品として洋の東西を問わず交易された。 東洋には、少なくとも13世紀までには中国に伝わっている。かってマルコ・ポーロが中国の港湾商業都市泉州を「ザイトゥン」と読んだことからも、当時の泉州にはオリーブ(ザイトゥーン)が生育していたことが証明されている。 日本にオリーブオイルが入ってきたのは16世紀末、ポルトガル人が紹介した天ぷらの揚げ油だといわれているが、当時は高価すぎて定着するには至らなかった。 参考資料(ジェトロ・イスタンブール事務所 HP) |
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